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東京高等裁判所 昭和61年(行ケ)58号 判決

原告

楠絹織株式会社

被告

荒堀明夫

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第1当事者の求めた裁判

1  原告

「特許庁が昭和58年審判第3943号事件について昭和61年1月27日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

2  被告

主文同旨の判決

第2請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、名称を「和装帯」とする登録第1408722号実用新案(昭和53年11月9日出願、昭和56年2月12日出願公告、同年11月30日登録。以下「本件考案」という。)の実用新案権者であるが、被告は、昭和58年3月2日、原告を被請求人として本件考案について実用新案登録の無効審判を請求し、昭和58年審判第3943号事件として審理された結果、昭和61年1月27日「登録第1408722号実用新案の登録を無効とする。」との審決があり、その謄本は同年2月27日原告に送達された。

2  本件考案の要旨

帯側に帯芯を内装した和装帯であつて、前記帯芯が平板繭であることを特徴とする和装帯。

(別紙図面参照)

3  審決の理由の要点

本件考案の要旨は、前項記載のとおりである。

これに対し、昭和12年実用新案出願公告第936号公報(以下「第1引用例」という。)には、「繭毛羽より製綿せる真綿を加熱密着剤液中を通じ圧搾機にて適宜の厚さ及び幅に密着し、更に乾燥したる膜板状体を所要の幅に裁断して成る帯芯」について記載されており、この帯芯もやはり帯側で内装して和装帯とするものであるが、本件考案の和装帯は、帯芯に、「平板上に金網を張り、その上に熟蚕を這わすことによつて蚕のはき出す繭糸をあえて繭玉に形成せしめずに、平面的に自由に走らしめるような方法で得られる」(本件公報第1欄第29行ないし第32行)平板繭を使用しているので、帯芯の種類が第1引用例記載のものと相違している。

しかしながら、平板繭(平面繭ともいう)それ自体は、特許第93434号明細書(以下「第2引用例」という。)や昭和14年8月20日社団法人日本蠶絲學會「講演集(第6輯)」第4頁ないし第10頁(以下「第3引用例」という。)に記載のとおり、既に知られており、これが、第1引用例に記載の繭毛羽の綿を密着して作つた膜板状体と同じく繭糸(絹糸)から成る不織布状シートであることに着目すると、本件考案において平板繭を帯芯に採用した点に、格別の創意を要したものとも認められない。

被請求人(原告)は、本件考案の和装帯は、帯芯が、例えば平板繭を精練してセリシンを一部除去して、漂白、防虫加工するなどして得られる(本件公報第2欄第8、第9行)ため、非常に簡単に製造できるだけでなく、生糸となるモノフイラメントがその成分であるセリシンで適度に接着されているため、帯芯自体、軽くしかも強靱で、腰が強いながらもしなやかさがあり、適度の回復弾性があり、寸法安定性があつて縮まず、保型性に優れ、吸湿性と保温性と通気性のいずれにも優れ、織物製帯側の組織によくなじみ、さらには帯側に対する側縁かがりを縁線まぎわで行つてもほつれがなく、容易に強固な縫い合わせができるなどの効果を兼ね備え、従来になく着心地のよい和装帯が提供される(本件公報第2欄第16行ないし第32行)のに対し、第1引用例記載の帯芯は、前記のとおり複雑な工程を必要とする上、繭毛羽という短繊維状の繊維を使用するため、ほつれ易く、強度が弱く、十分な強度を得ようとすれば密着剤の存在によつて真綿本来の通気性や吸湿性も損なわれ、弾性にも欠けるものとなるから、優れた効果を奏する本件考案を第1引用例の記載から予想できない、という。

しかしながら、本件考案は、帯芯として、単に本出願前公知の平板繭を使用しているだけであり、その製造法に利点はない。それに、第1引用例記載の帯芯とて、繭毛羽の綿を密着して作つた膜板状体であるとはいえ、「外面に糊料層なきは勿論全体に糊気少なく従て真綿本来の性質を利用し表面の繊維は良く浮出で帯側の織布と強く接着し得べく而かも数層を合着したものと異り軽く且つ靱やかにして耐久力に富み而かも弾力性を有し帯地と縫着する場合に於ても其の縫着加工容易にして縫崩れなく又着用具合良好にして常に帯芯としての目的を良好に達し得る効果あり」(第28頁第1行ないし第3行)と、実は、優れた効果を持つことが説明されているのである。

そうしてみると、本件考案の効果は、別段、第1引用例記載のもののそれと相違しておらず(なお、第1引用例中には、帯芯の通気性や吸湿性の程度についての説明はないが、「全体に糊気少く従て真綿本来の性質を充分に利用し」とあるからには、それらが本件考案の帯芯と、さほど差異があるとも解されない。)被請求人(原告)自身も、前記の繭毛羽の綿を密着して作つた膜板状体と具体的に比較して平板繭が特段に優れた和装帯の帯芯としての効果があると立証しているわけではないから(なお、被請求人の提出した乙第1、第2号証((審判手続における書証番号による。))は、平板繭が木綿や合成繊維等の織布、不織布と比較して、和装帯の帯芯として、優れた効果がある、というにとどまる。)、本件考案の和装帯が、帯芯に平板繭を使用しているからといつて、繭毛羽の綿を密着して作つた膜板状体を帯芯に使用した第1引用例記載の和装帯には期待できない顕著な効果を奏しているとまでは認められない。

したがつて、前述したとおり、本件考案は、第1ないし第3引用例の記載に基づいてきわめて容易に考えつく程度のものというべきであり、実用新案法第3条第2項の規定に違反して登録を受けたものである以上、これを無効とするほかはない。

4  審決の取消事由

本件考案は、第1ないし第3引用例の記載に基づいてきわめて容易に考えつく程度のものであるとした審決の認定、判断は誤りであり、審決は違法として取り消されるべきである。

1 第1引用例に記載されている帯芯が、審決認定のものから成るものであつて、本件考案における帯芯とは相違していること、平板繭(平面繭)それ自体は、第2、第3引用例に記載のとおり本件考案の実用新案登録出願(以下「本件出願」という。)当時既に知られていたものであり、平板繭が第1引用例記載のものと同じく繭糸(絹糸)から成る不織布状シートであることは認めるが、本件考案において平板繭を帯芯に採用した点に格別の創意を要したものとも認められないとした審決の認定、判断は誤りである。以下詳述する。

(1)  平板繭は、昭和初期に、絹糸の化学的製造を目的として、「從來の製絲原料と異り、單に絹質物を保存及取扱ひ易き形態を以て製出すれば足るのであつて、繭形、繊度、光澤、解舒、絲長等の條件は問題とする所でなく、要は、絶封絹絲量多きもので、絹絲と蛹體、脱皮殻とを完全分離し、原料の取扱を便ならしむると同時に、製造工程を省略し得る形態を必要とする。」(昭和10年4月1日大日本蠶絲會発行の「蠶絲界報」第44巻第518号第55ないし第64頁に掲載されている星野正三郎執筆の「蠶の平面吐絲上蔟法の研究」((乙第1号証))中第55頁下欄末行ないし第56頁上欄5行)という見地から開発されたものであつて、平板繭としての物性や均一性などは全く問題とせず、単にその収量のみを問題として製造されていた。このように、平板繭の用途も化学絹糸の原料としてのそれが主であり、前記乙第1号証に開示されている平板繭のその他の用途としては、平板状で使用する場合、力がかからず、不均一性から生ずる斑紋を模様として利用できる襖紙、短冊、色紙、畫仙紙、屏風紙、壁紙など工芸品的なもの、装飾品的なものに限られ、多少とも力のかかるものとしては、細断して撚りを掛けて織物に使用することが示されているだけである(乙第1号証第56頁上欄末行ないし同下欄第6行)。

なお、第3引用例には、平板繭はチヨツキ等防寒具にも用いられる旨の記載(第10頁第8行)があるが、これも単に肩に掛けて使用するものであつて、前記装飾品などと同様に力のかからないものである。

また、乙第1号証には幅3尺、長さ6尺の平板繭の製造に関する記載があるが、このような長さのものでは帯芯に使用できるものではない。

以上のとおり、公知の平板繭であつて帯芯に使用可能な品質、形状のものは存在せず、また、帯芯に使用することを示唆するような用途も存在しなかつたのである。

そして、前記化学絹糸の原料としての平板繭の利用も第2次大戦勃発前後の繊維原料の輸入の困難な時期に絹毛糸製造のために短繊維化して使用された程度で、それ以降は平板繭の研究もとだえ、その特性について調査されたこともほとんどなく、昭和51年11月10日社団法人繊維学会発行の「繊維學會誌」第32巻第11号第394頁ないし第397頁(甲第6号証)にも、「厚さむらは(中略)むしろ一種の雅致にとむ斑紋の形成として平面繭の特長といえるように思われる。」(第395頁右欄第21行ないし第25行)と記載されていることからしても明らかなとおり、本件出願当時においては、帯芯として使用できるような均質にして強度のある長尺物の平板繭が製造可能であるなどとは全く考えられていなかつた。平板繭を帯芯地として用いることができるということは、本件考案の開発に協力した四方正義京都工芸繊維大学教授らの研究により初めて確認されたのである(京都工芸繊維大学繊維学部学術報告第9巻第2号第197頁ないし第203頁((甲第7号証))参照)。

(2)  他方、第1引用例記載の帯芯の素材である繭毛羽は入手が困難なものであり、しかもその繭毛羽をわざわざ複雑な加工によつて膜板状体として使用するようなことは極めて不経済であるため、第1引用例記載の帯芯は実用化されていない。

(3)  左記(1)ないし(6)の各著書の記載からも明らかなとおり、本件出願当時、和装業界において、天然繊維を素材とする帯地には天然繊維を素材とした帯芯がなじみが良いとされながら、絹繊維から成る実用性のある芯地が存在しなかつたため、帯芯は三河木綿又は天竺木綿が主に使用され(式服用の豪華な丸帯に対しても三河木綿が使用されていた。)、不織布が使用されることがあつても、それは化繊のものに限られていた。

(1) 昭和52年6月6日株式会社淡交社発行の「原色染織大辞典」第183頁(甲第8号証)の「おびしん 帯芯」の項における「帯芯として、古くから三河木綿、真岡木綿が重用される。現在は不織布のもの、木綿の片面に不織布を吹き付けたものなども市販される。」との記載。

(2) 昭和48年7月1日株式会社小学館発行の「日本国語大辞典」第4巻第14頁(甲第9号証)の「おびしん〔帯芯・帯心〕の項における「江戸初期は和紙、のち三河木綿、河内木綿などの厚手の布地を用いた。」との記載。

(3) 1979年(昭和54年)7月5日同文書院発行(増補第10刷)の「田中千代 服飾事典」第129頁(甲第10号証)の「おびしん〔帯芯〕」の項における「〈三河(みかわ)もめん〉〈河内(かわち)もめん〉などが使われてきたが、最近は化繊しん地もよく使われる。」との記載。

(4) 昭和52年9月1日株式会社主婦の友社発行(第23刷)の「改訂版 和裁全書」第278頁(甲第11号証)中の、丸帯の帯芯の材料に関する「三河木綿の帯心一本。晒心(厚地の天竺木綿に糊を引いたもの)のように、できるだけ薄くて固い心地を選ぶようにする。」との記載。

(5) 昭和48年9月10日衣生活研究会発行の「'74裏地と芯地」第37頁ないし第39頁に掲載されている藤本やす執筆の「和服の裏地と芯地」(甲第12号証)中の「帯芯として三河木綿が多く用いられ、ほかに天竺、シンモスなどが挙げられます。(中略)新しい芯地として、不織布があります。合成繊維で作られ弾力があり皺にならず軽いのが特長です。これは地直しの必要もなく取り扱いは簡単ですが天然繊維を素材とした帯地には何といつても三河木綿が一番である。天然のものと人工のものとは不自然な取り合わせで芯地が帯地になじみにくい欠点があります。」(第39頁左欄第1行ないし同頁右欄第7行)との記載。

(6) 昭和49年10月20日関西衣生活研究会発行の「'75裏地と芯地」第31頁ないし第33頁に掲載されている永井徳次郎執筆の「きものにおける裏地と芯地」(甲第13号証)中の、芯地に関する「〈ハ〉材質 三河木綿、天竺木綿、くるみ芯、不織布など。(中略)〈不織布〉化繊の繊維を紙のように薄くして接着して固定させたもので、厚さ、固さなど三種類あります。(中略)〈ニ〉選びかた (中略)不織布の帯芯は既製品に用いられていますが、やはり何度も使える腰のある三河木綿がよいようです。合繊の帯地には不織布を用います。(中略)以前は、丸帯の芯に三河木綿の表面に真綿をうすくのばして表布となじみやすくしました。」(第33頁左欄第19行ないし右欄第1行)との記載。

(4) 以上のとおり、平板繭は、化学絹糸の原料としての使用が主で、平板状で使用する場合でも工芸品的なもの、装飾品的なものに限つて用いられていて、第2、第3引用例の各発行日から長年月経過した昭和51年になつても、「厚さむらは(中略)むしろ一種の雅致にとむ斑紋の形状として平面繭の特長といえるように思われる。」と認識されていた程度であるから、当業者が第2、第3引用例によつて平板繭の新規な用途の開発を動機づけられたとしても、その開発は、まず平板繭の不均一性(雅致に富む斑紋)を利用した工芸品的なもの、装飾品的なものに向けられるものと考えられる。

また、第1引用例記載の帯芯は実用性のないものであるが、仮に当業者において第1引用例記載の帯芯に平板繭を使用することを思いついたとしても、それは短繊維化して使用することを目的として開発された平板繭を、短繊維化した状態で使用しようとするのが当然である。

そして、本件出願当時、和装業界においては、帯芯には帯地と同一の天然繊維を素材としたものを使用することがなじみが良いとされながら、絹繊維から成る実用性のある帯芯は全く存在しなかつたという前記事情の下で、それが得られるとは考えられてもいなかつたのである。

したがつて、本件考案において平板繭を帯芯に採用した点に格別の創意を要したものとも認められないとした審決の認定、判断は誤りである。

2 また、審決は、本件考案は帯芯として単に本件出願前公知の平板繭を使用しているだけであり、その製造法に利点はなく、本件考案の和装帯が帯芯に平板繭を使用しているからといつて、第1引用例記載の帯芯を使用した和装帯には期待できない顕著な効果を奏しているとまでは認められないとしているが、右認定、判断も誤りである。

(1) まず、第1引用例記載の帯芯は、(イ)繭を製造し、(ロ)繭表面及び簇に付着している繭毛羽を集め、(ハ)この繭毛羽を綿打機により真綿となし、(ニ)160ないし170度Cに加熱した密着剤液中を通過させ、(ホ)圧搾機により適宜の厚さに密着し、(ヘ)さらに蒸気熱で乾燥して膜板状体とし、(ト)これを所定の幅に裁断する、という複雑な工程を必要とするものである。

これに対し、本件考案における平板繭は、単に蚕を選び、特定の条件下で吐糸させるという、前記(イ)に相当する工程だけで簡単に所望のものを得ることができるのであつて、これにより、第1引用例記載のものに比べて効率良く簡単に帯芯を製造することができるものである。

なお、本件明細書には、本件考案における平板繭の厚さや密度等についての詳細な説明はないが、本件考案における平板繭、すなわち帯芯に使用できる平板繭と公知の平板繭とが厚さの均一性や密度等において著しく相違することは明らかである。

したがつて、本件考案の製造法に利点がないとする審決の認定、判断は誤りである。

(2) 前記のとおり、本件考案における帯芯は、第1引用例記載の帯芯に比して非常に効率良く製造することができるという格別の作用効果を奏するほかに、第1引用例記載の帯芯と物性を全く異にし、次のような格別の作用効果を奏するものである。すなわち、

(1) 第1引用例記載の帯芯は、繭毛羽という短繊維を密着剤で接着して板状としているためほつれ易いが、本件考案における帯芯は、蚕が吐き出した長繊維から成る平板繭を使用するためほつれを生じない。

(2) 第1引用例記載のものは、繭毛羽を真綿状とした後に密着剤に浸漬して繭毛羽相互間の接着をしているため、密着剤が繊維間を覆つて存在することとなり、通気性、透湿性、弾性等に優れた帯芯が得難いのに対し、本件考案における帯芯は、長繊維が個々の長繊維と一体化された接着剤で(すなわち、蚕の吐出した糸が、その糸の周囲に存在するセリシンで)適度に接合されて形成された平板繭を使用するため、密着剤というような異質のものを含まず、絹本来の通気性、透湿性、弾性等をそのまま保持する扱い易い製品となる。

なお、本件考案における平板繭を用いた帯芯が、第1引用例記載の帯芯に比して、帯芯として必要とされる物性において非常に優れていることは中嶋哲生作成の実験報告書(甲第14号証)により明らかである。

したがつて、本件考案の和装帯が帯芯に平板繭を使用しているからといつて、第1引用例記載の帯芯を使用した和装帯には期待できない顕著な作用効果を奏しているとまでは認められないとした審決の認定、判断は誤りである。

第3請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求の原因1ないし3の事実は認める。

2  同4は争う。審決の認定、判断は正当であり、審決には原告主張の違法はない。

1(1) 第1引用例に記載されている帯芯は審決認定のものから成るものであつて、本件考案における帯芯と相違している。

ところで、本件考案は、第2、第3引用例記載のとおり本件出願前既に知られていた、繭糸(絹糸)から成る不織布状シートである平板繭を帯芯に採用したものであるが、絹繊維から成る不織布を帯芯とすることは、第1引用例によつて本件出願前に既に開示されていたのであるから、平板繭を帯芯に採用すること自体は何ら目新しい技術ということはできない。換言すれば、本件考案は、既に公知となつていた絹繊維から成る人工の不織布製帯芯を、従前からあつた天然の絹製不織布に置き換えただけのものといえるのであつて、当業者がきわめて容易に行える帯芯素材の置換であるといわざるを得ない。

したがつて、本件考案において平板繭を帯芯に採用した点に格別の創意を要したものとも認められないとした審決の認定、判断に誤りはない。

(2) 原告は、公知の平板繭は平板状で使用する場合でも工芸品的なもの、装飾品的なものに用いられていたにすぎない旨主張するが、次に述べるとおり右主張は理由がない。すなわち、

第2引用例記載の平板繭は、同引用例に記載されているとおり「大なる平面板」等の上で蚕に吐糸させて得た「シート状の絹繊維」であり、工業上の原料又は材料として使用されるものである。そして、第2引用例記載の発明の特許権者である星野正三郎は、平板繭を開発した昭和10年当時に、幅3尺、長さ6尺の平面板上で蚕に吐糸させて平板繭を得ており(前掲「蠶絲界報」所収の星野正三郎の論文((乙第1号証))参照)、平板繭は、その開発当時から大きい面積のシート状の絹繊維であつたのである。また、右論文には、平面板の大きさが右のものに限定されることなく、作業に便なるように適宜の大きさのものを採用できることも示唆されており、平板繭の大きさは、工芸品的なもの、装飾品的なものにしか使用できない程度の小さな面積のものだけではなかつたのである。現に、平板繭は工芸品的なもの、装飾品的なものだけでなく、化学絹糸の原料、チヨツキ等の防寒具のほか、平板繭自体を裁断して織物用の糸としても使用することが知られており、用途に応じて大きさを選択することによつて広範囲の分野において利用できることが知られていたものである。

また、原告は、化学絹糸の原料としての平板繭の利用も第2次大戦勃発前後のことで、それ以降は平板繭の研究もとだえたことをも、本件考案が進歩性を有することの根拠としているが、考案が進歩性を有するか否かは、公知文献記載の技術が現実に実施されていたかどうか、公知技術の研究が中断していたかどうかとは関係がなく、右のような事情は本件考案の進歩性を肯定する根拠とはなり得ない。けだし、一般に、特定の考案がある程度の技術的効果を有していても、社会的、経済的な情勢、実用上の利害の得失、生産力、販売力等の問題によつて、当業者があえて実施しない場合があるし、また、公知技術の重要度を時間的、期間的な点から差を設けて取り扱うべきものではないからである。しかも、本件出願の2年前に発行された前掲「繊維學會誌」(甲第6号証)には、戦前に開発された平板繭に対する注意を喚起し、絹繊維から成る不織布の存在を再確認させた論文が掲載されているのであるからなおさらである。

以上のとおりであつて、原告の請求の原因4、1の主張は理由がないものというべきである。

2(1) 原告は、本件考案における帯芯と第1引用例記載の帯芯の製造工程の相違を採り上げて、本件考案の製造法に利点はないとした審決の認定、判断は誤りである旨主張するが、本件考案と第1引用例記載のものとを対比するに当たつては、所定の製造工程を経て得られた帯芯自体を対象とすれば足り、製造工程の相違は問題にする必要のないことである。

本件考案において、平板繭の厚さの均一性や密度等については何ら規定されておらず、したがつて、本件考案における平板繭は公知の平板繭と同一であり、本件考案は、帯芯として、公知の平板繭を使用しているにすぎないから、その製造法に利点はないとした審決の認定、判断に誤りはない。

(2) 第1引用例記載の帯芯は、審決が認定しているとおりの利点(第1引用例2枚目第1行ないし第3行)を備えたものであり、帯芯として有すべき作用効果の点において、本件考案における帯芯が第1引用例記載の帯芯に対し特に際立つて優れているわけではない。

前掲実験報告書(甲第14号証)記載の実験に用いられた試料Ⅱは、第1引用例記載の帯芯材料とは異なるものであるから、同号証記載の実験結果は、本件考案における帯芯が第1引用例記載の帯芯に比して、帯芯として必要とされる物性において優れていることを裏付けるものではない。

したがつて、本件考案の和装帯が帯芯に平板繭を使用しているからといつて、第1引用例記載の帯芯を使用した和装帯には期待できない顕著な効果を奏しているとまでは認められないとした審決の認定、判断に誤りはない。

以上のとおりであつて、原告の請求の原因4、2の主張も理由がないものというべきである。

第4証拠関係

証拠関係は、本件訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

理由

1  請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本件考案の要旨)及び3(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。

2  そこで、原告主張の審決の取消事由の存否について判断する。

1(1) 第1引用例に記載されている帯芯は、「繭毛羽より製綿せる真綿を加熱密着剤液中を通じ圧搾機にて適宜の厚さ及び幅に密着し、更に乾燥したる膜板状体を所要の幅に裁断して成る帯芯」というものであつて、平板繭を使用している本件考案における帯芯とは相違していること、平板繭(平面繭)それ自体は、第2、第3引用例に記載のとおり本件出願前既に知られていたものであり、平板繭は、繭糸(絹糸)から成る不織布状シートであることは、当事者間に争いがなく、平板繭が繭糸(絹糸)から成る不織布シートである点で第1引用例記載の繭毛羽の真綿を密着して作つた膜板状体と同じであることは技術的に自明のことである。

右のとおり、第1引用例には、「繭毛羽より製綿せる真綿を加熱密着剤中を通じ圧搾機にて適宜の厚さ及び幅に密着し、更に乾燥したる膜板状体」を帯芯としたものが開示されており、右第1引用例記載のものと同じく繭糸(絹糸)から成る不織布状シートである平板繭は、本件出願前公知であつたのであるから、帯芯として、第1引用例記載のものに代えて平板繭を採用することに格別の考案力を要したものとは認め難い。

したがつて、本件考案において平板繭を帯芯に採用した点に格別の創意を要したものとも認められないとした審決の認定、判断に誤りはないものというべきである。

(2) 原告は、請求の原因4、1掲記の理由により、審決の前記認定、判断は誤りである旨主張するが、以下説示するとおり右主張は理由がない。

成立に争いのない甲第4ないし第6号証及び乙第1号証によれば、第2引用例記載の発明(大ナル平面板又ハ蓆上若クハ彎曲面ヨリ成レル容器ニ熟蠶ヲ収容シ營繭ヲ阻止シテ「シート」状ニ吐絲セシムルコトヲ特徴トスル蠶兒上簇法)は昭和5年11月21日に特許出願されたものであるが、第2引用例の「発明ノ詳細ナル説明」には、「『シート』状ノ絹纎維ハ製絲又ハ人造絹絲ノ原料又ハ装飾紙代用品其他ノ諸種ノ趣味ニ富メル細工物材料等トシテ好適ニ利用スルヲ得ヘシ」と記載されていること、右のように熟蚕を平面板上に這わすことによつて、蚕の吐き出す繭糸を繭玉に形成させず、平面的な不織布状のシートの繭に形成させた平板繭は昭和初期に開発されたものであるが、主として化学絹糸の原料として利用されたほか、絹糸の自然的交絡によつて一種の雅致に富む斑紋を形成していることから、平板繭の上質のものに多少の加工、染色を加えるなどして、襖紙、短冊、色紙、畫仙紙、屏風紙、壁紙、團扇、扇子、提灯、繪日傘などの装飾品的なもの、工芸品的なものなどに用いられ、また、軍需用防寒衣の中入綿や細断して撚りを掛けて各種の風変わりな織物の原料とすることなどにも利用されていたこと、特に、昭和13年頃からは繊維原料の輸入減少に伴い、羊毛繊維代用の繭短繊維の原料として平板繭の需要も増大し、その製造法に関する研究も盛んに行われるようになつたが、平板繭自体の特性についての調査、研究は十分ではなかつたこと、そして、遅くとも第2次大戦終結後は、我が国において平板繭の製造は行われなくなつたこと、昭和51年に至り、農林省蚕糸試験場絹繊維部製品研究室長本多寛ほか1名は、同年11月10日社団法人繊維学会発行の「纎維學會誌」第32巻第11号第394頁ないし第397頁(甲第6号証)に、平板上蔟法の解説、平面繭の特性(切断強度、切断伸度、引裂度、重さ、厚さ)に関する調査結果などを内容とする「平面繭について」と題する論文を発表したが、同論文には、「厚さむらは(中略)むしろ一種の雅致にとむ斑紋の形成として平面繭の特長といえるように思われる。」(第395頁右欄第21行ないし第25行)、「平面繭が現代の感覚による新しい用途として再び登場することを切に望んでいる。」(第396頁右欄下から第7行、第6行)と記載されていることが認められる。

また、成立に争いのない甲第8ないし第13号証によれば、甲第8ないし第13号証の各著書の該当部分には、請求の原因4、1、(3)、(1)ないし(6)掲記の各記載があることが認められ、右認定事実によれば、帯芯には、古くから主に三河木綿や天竺木綿が用いられてきたが、本件出願当時においても、帯芯地としては右のものが代表的なものであり、不織布としては合成繊維から成るものがあつたにすぎないことが認められる。

なお、第1引用例に記載されているような繭毛羽から成る綿を密着して作つた膜板状体が帯芯として実用化されていたことを認めるべき証拠はない。

前記認定のとおり、平板繭は、主として化学絹糸の原料として利用され、平板状で使用する場合は工芸品的なもの、装飾品的なものなどに用いられていたものであつて、それらの用途自体は、平板繭が帯芯としても利用できることを直接的に示唆するものではないし、平板繭自体の特性についての調査、研究も十分ではなく、昭和51年になつても、「厚さむらは(中略)むしろ一種の雅致にとむ斑紋の形状として平面繭の特長といえるように思われる」と認識されていたという事情にあつたものであるが、第1引用例には、繭毛羽の綿を密着して作つた膜板状体から成る帯芯が開示されており、右第1引用例記載のものと同じく繭糸(絹糸)から成る不織布状シートである平板繭が本件出願前公知のものであり、しかも、前掲甲第6号証の論文によつて平板繭の特性に関する調査結果などが紹介され、平板繭に対する関心を喚起し、現代の感覚による新たな利用を促していることからすると、前記事情が存するからといつて、当業者が第2、第3引用例によつて平板繭の新規な用途の開発を動機づけられたとしても、その開発は工芸品的なもの、装飾品的なものに向けられると認めなければならないものではなく、また、当業者が第1引用例記載の帯芯に平板繭を使用することを思いついたとしても、平板繭を短繊維化した状態で使用しようとするのが当然であるとしなければならないものでもなく、前記事情は、本件考案が進歩性を有することの根拠とはなり得ないものというべきである。

なお、原告は、公知の平板繭は帯芯に使用可能な品質、形状のものではなく、本件出願当時においては、帯芯として使用できるような均質にして強度のある長尺物の平板繭が製造可能であるなどとは全く考えられていなかつたとして、あたかも本件考案においては公知ものと品質、形状の相違した平板繭が採用され、その点に本件考案の進歩性があるかのような主張をしているが、考案の要旨から明らかなとおり、本件考案においては平板繭の品質、形状について何ら規定しているわけではないから、右主張自体失当というべきである。

次に、前記のとおり、本件出願当時、帯芯には主に三河木綿、天竺木綿が用いられ、不織布としては合成繊維から成るものが用いられていたにとどまり、第1引用例記載の絹繊維から成る帯芯が実用化されていたことを認めるに足りる証拠はなく、他方、遅くとも第2次大戦終結後は我が国において平板繭の製造は行われなくなったという事情にあるが、出願に係る考案が公知文献に記載された考案に基づいてきわめて容易に考案をすることができたといえるか否かは、当該公知文献を出願当時の技術水準に照らして解釈して確定し得る技術事項自体が出願に係る考案の技術的思想形成の基因となり得るかどうかによつて判断すべきであつて、当該公知文献に記載されている技術事項が現実に実施されていたか否かは考慮する必要のないことであるから、前記事情も本件考案が進歩性を有することの根拠とはなり得ないものというべきである。

以上のとおりであつて、原告の請求の原因4、1の主張は理由がない。

2 次に、原告の請求の原因4、2の主張について検討する。

(1)  まず、原告は、第1引用例記載の帯芯の作成には複雑な工程を必要とするのに対し、本件考案における帯芯は第1引用例記載のものと比べて非常に効率良く簡単に製造できるから、本件考案の製造法に利点はないとした審決の認定、判断は誤りである旨主張する。

しかし、本件考案は物としての和装帯の構造に係るものであり、帯芯として、第1引用例記載のものに代えて本件出願前公知の平板繭を採用することに格別の考案力を要したか否かを問題としている本件において、第1引用例記載の帯芯と本件考案における帯芯との製造法の相違を採り上げて、本件考案は、帯芯として、単に本件出願前公知の平板繭を使用しているだけであり、その製造法に利点はないとした審決は無用の説示をしたものであり、その説示の誤りをいつて、本件考案の進歩性を主張すること自体意味のないことであるというべきである(そして、本件考案におけるその製造法の利点の有無の点を別にしても、本件考案は第1ないし第3引用例の記載に基づいてきわめて容易に考えつく程度のものというべきであるとした審決の認定、判断を正当とすべきこと後述のとおりである。)。

(2)  次に、原告は、本件考案における帯芯は第1引用例記載の帯芯と物性を異にし、第1引用例記載の帯芯では得られない格別の作用効果を奏するものであるから、審決が、本件考案の和装帯が帯芯に平板繭を使用しているからといつて、第1引用例記載の帯芯を使用した和装帯には期待できない顕著な作用効果を奏しているとまでは認められないとした認定、判断は誤りである旨主張する。

成立に争いのない甲第2号証(本件考案の実用新案公告公報)によれば、本件考案は、帯芯に用いられる平板繭が、「軽くしかも強靱で、腰が強いながらもしなやかさがあり、適度の回復弾性があり、寸法安定性があつて縮まず、保型性に優れ、吸湿性と保温性と通気性のいずれにも優れており、また織物製帯側の組織によくなじみ、さらには帯側に対する側縁のかがり縫い等の縫い合わせにおいて、これを縁線のまぎわで行なつても何らほつれるおそれがなくて安心して容易に強固な美しい縫い合わせができる」(同公報第2欄第19行ないし第27行)ために、極めて着心地の良い和装帯が得られるという作用効果を奏するものであることが認められる。

右認定事実によれば、本件考案の奏する、極めて着心地の良い和装帯が得られるという作用効果は、専ら、帯芯を平板繭としたことによつてもたらされるものであることは明らかであるが、帯芯に平板繭を採用することは、前記のとおり格別の考案力を要したものとは認め難いものであり、右作用効果は、帯芯に平板繭を採用することにより当然予測し得る程度のものと認められる。

もつとも、帯芯を平板繭とすることが格別の考案力を要するものではないとしたのは、平板繭が本件出願前公知であつたということに加えて、第1引用例記載の帯芯に用いられているものも、平板繭も、繭糸(絹糸)から成る不織布状シートであるという共通点を有することに根拠を置くものであるが、右共通点にもかかわらず、それぞれの物性が著しく異なり、帯芯として用いる場合、平板繭が第1引用例記載のものに比べて予測し難い格別顕著な作用効果を奏するものであるならば、本件考案は進歩性を有するものというべきである。

そこで、第1引用例記載の繭毛羽の綿を密着して作つた膜板状体の物性及び作用効果についてみるに、成立に争いのない甲第3号証によれば、第1引用例の「実用新案ノ性質、作用及効果ノ要領」には、右のものは、「外面ニ糊料層ナキハ勿論全體ニ糊気少ク從テ眞綿本來ノ性質ヲ充分ニ利用シ表面ノ纎維ハ良ク浮出デ帯側ノ織布ト強ク接着シ得ベク而カモ數層ヲ合着シタルモノト異リ輕ク且靱ヤカニシテ耐久力ニ富ミ而カモ弾力性ヲ有シ帯地ト縫着スル場合ニ於テモ其ノ縫着加工容易ニシテ縫崩レナク又着用具合良好ニシテ常ニ帯芯トシテノ目的ヲ良好ニ達シ得ル効果アリ」(2枚目第1行ないし第3行)と記載されていることが認められる。

第1引用例の右記載によれば、第1引用例記載の前記膜板状体の物性及ひ作用効果は、本件考案における平板繭のそれらとさしたる相違はないものと認められ、少なくとも、平板繭の前記作用効果が第1引用例記載のものに比べて予測し難い程度に顕著なものであるとは認められない。なお、第1引用例には、本件考案における平板繭が有する吸湿性、保温性、通気性について記載されていないが、前記のとおり第1引用例には、「全體ニ糊気少ク從テ眞綿本來ノ性質ヲ充分ニ利用シ」と記載されていることからして、第1引用例記載のものも吸湿性、保温性、通気性を有し、その程度も平板繭とさほど相違するものではないと認めるのが相当である。

成立に争いのない甲第14号証によれば、光華女子短期大学助教授中嶋哲生が、厚さ0.35mm、重さ49.7g/m2の平板繭(試料Ⅰ)、厚さ0.37mm、重さ68.5g/m2の眞綿を使用した膜板状体(試料Ⅱ)を用いて行つた物性試験において、試料Ⅰは、試料Ⅱに対して、(イ)3割程度軽い、(ロ)通気性は約1.5倍である、(ハ)透湿率は1割以上大である、(ニ)引張強さは約10倍である、(ホ)伸長弾性率は約1.5倍である、(ホ)伸長弾性率は約1.5倍である、(ヘ)応力緩和率は小である、という結果を得たことが認められる。

しかし、試料Ⅱは繭毛羽を用いたものではなく、また、前掲甲第3、第14号証によれば、膜板状体にするための製造工程も第1引用例記載の方法とは異なるものであることが認められるから、試料Ⅱは第1引用例記載のものと同等のものであるとすることはできず、右実験結果をもつて、本件考案における平板繭が第1引用例記載のものに比し顕著な作用効果を有するものであることを裏付けるものとは認め難い。

したがつて、本件考案の和装帯が帯芯に平板繭を使用しているからといつて、第1引用例記載の帯芯を使用した和装帯には期待できない顕著な作用効果を奏しているとは認められないとした審決の認定、判断に誤りはなく、原告の前記主張は理由がないものというべきである。

叙上説示したところによれば、本件考案は、第1ないし第3引用例記載のものに基づいてきわめて容易に考えつく程度のものというべきであるとした審決の認定、判断は、本件考案の製造法に利点はないかどうかに係りなく、正当として是認することができる。

3  よつて、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法第7条、民事訴訟法第89条の各規定を適用して主文のとおり判決する。

(蕪山嚴 竹田稔 濵崎浩一)

〈以下省略〉

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